文平の病気
肝臓の障害・黄疸
フクモモとアガリクスとβ-グルカン

2005/10
文平2歳の頃


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10月3日
9/30から薬のやり方をアウレオだけだが先生の言うのに替えた。
薬の傷み方も少なくなるだろうと言われたが見た目はよくない。
体重は78gと減ってはいるが十日前からの体重を維持していて嬉しい。
ただ、りんごが無くなるので水分の補給が出来なくなるのが心配。

薬のやり方は、
朝:アウレオ6mlにハイビタドロップス2滴と
病院からもらったビタミンA・Eを2滴混ぜたものをシリンジで0.1ml与える。
夜:従来どおりハイビタドロップス一滴を水で緩めたメープルシロップ3滴で薄めてシリンジで与え、
アガリクス3さじを10滴の水で溶かしてシリンジで与える。
10月7日
いやいやながらも早生ふじを食べるようになった。
無ければないで梨も食べるが喜んで、ではない。
ネクターを昨日今朝飲む。
薄めないとフクモモには味が濃すぎるようで薄めたら喜んで飲みに来る。
まあ、一時的だろうけど。
10月10日
ふじが熟れたのか文平が慣れたのかやっとリンゴを食べるようになった。
送りもとの中村果樹園に電話で品種を聞いたら、ひろさきふじと言う事だった。

この4〜5日調子がいい。
毛繕いできずにシモからシッポの付け根にかけて
禿げてしまっているがシッポの毛が少しだが増えている。


ちびホークがポーチに爪がかかるので切ってやった。
モモリも切ってやらないといけない。
茶太郎は一週間で3日に量った67gから80gに増えている。
あいかわらずひっついてばかりでこの調子で太ると飛ばないフクモモになってしまう。
10月12日
ままが太ったかも?
というので体重を量ったら70g。
案の定というか太ったように感じるのは元気がある証拠。
一概に体重の減少を悲観する事もないかもしれない。
文平の元気な部分の重さは恐らく50g位だろう。
この体重の変化がいい部分の体重が増え、悪い部分の重さが減り
次第に体重増加になってもらいたい。
10月15日
ここのところ富有柿が気に入っている様子。
さっき見るとケージの一番下辺りの檻をなめている、
餌に近かったりいろんな匂いが着いているのだろうが理解に苦しむ。
しかしここの所元気はいい。

ずいぶんりんごの心配をしたがりんごを食べていたのは文平だけで他の連中はちょっと齧るだけ。
思い出すと去年の文平はりんごには見向きもしなかった。
りんごが無くなってからは柿と梨になった、柿は熟して甘ければ種類を問わず食べるが
梨は幸水→豊水ラインでグルメぶりを発揮している。
10月18日
元気がいいから少しでも太ったかと思い体重を量ったらやっぱり70g。
元気はいいが、色艶が回復しない。
10月20日
最近は柿ばかり食べている。
元気な事を良いことに投薬をとばしたりしている。
10月27日
朝薬をやる時に見ると元気がないのはともかく貧血が極めてひどく全身に血の気がない。
明るいところで見たせいもあるが飴色になっている。
限界が近いのを重く感じて仕事の合間の手の空いた時間にも思い出して一日中ため息をついてしまう。
仕事から戻るとぼちぼち血の気も戻り落ち着いているので大変に安心した。
10月28日
縁日で白神社に参る。
とは言え時間も遅く誰もいないから一層神様も願いが聞きやすくて好都合だと感じる。
文平に一番良いようにしてやってください。
10月29日
25時過ぎに文平は旅立った。

仕事が遅く11時半頃帰ってきたとたん、
まずないことだが、ままがベランダに出て早くと声を掛けるのでとうとうかと感じた。
ままの手の中で布団にうつ伏せで唾を舐めに頭を上げる力もない。
指に唾を付けてやると安心したように舐めた。
12時を過ぎてから力がどんどん抜けてゆく。
パパの肩に上がろうとしたりするが負担になる。
もう何度も逝ったかという状態がくり返される。
心臓の鼓動が速くなったとき苦しいのかそれとも私達を呼ぶ声を出そうとしたのか
大きく口を開いて声にならない声を出した。
それから十数分、パパとママの手の中で白神の神様に導かれて天国に帰っていった。

と言うのも
ママが今日白神の縁日でパパと同じお願いをしていた事。
パパが毎日白神さんのお守りに感謝していた事。
この28・29日の縁日のお祭りに文平の苦しみを解いてくださいと密かにお願いしていたから…。

ブンがもう限界だということは充分に分かっていたので
逝くにあたって大変に心配した事が二つあった。
ひとつは、ウチに誰もいない時に一人で寂しく旅立っていくこと。
もうひとつは、チビリのように大変に苦しむこと。
とてもとてもとても幸いな事に神さまの計らいで
文平はパパとママの手の中でお別れする事が出来て感謝してもしきれない。

ポッコリランドの代名詞が文平ではなく、
文平の代名詞がポッコリランドだった。

文平の解剖による所見

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